幻の香「占唐」を復元

占唐は実在しないとさえ

当道の宝鑑(手本となる書)である勅撰『薫集類抄』において、六種の薫物に使われている香は、沈、丁子、甲香、白檀、薫陸、麝香、占唐(薝糖香)、鬱金、甘松、藿香、安息の11種であり、占唐は25の諸香の6番目に掲げられています。
 六種の薫物、すなわち空薫物にはこれらの11種の香のみで作られるにもかかわらず、その組み合わせ及び匙加減で全く異なった薫香を生ずるのです。
 逆に言えば、一種でも入手できない香があれば、平安朝の薫物の復元は不可能であることは当然のことですが、この内、麝香がワシントン条約による規制から入手困難であるだけでなく、これまで占唐については全く入手することができなかったのです。

 それもそのはずで、室町初期に後小松院御撰となる『むくさのたね』(1412~33頃)における六種の薫物の方(調合法)に、占唐はなく、それ以前に廃れたことが分かります。すなわち、南北朝時代を境にその入手方法、もしくは伝が途絶えたものと考えられます。
 現在、市井で六種の薫物を製造販売してる香舗のみならず、香材料を扱っている専門店の全てに問い合わせましたが、占唐は店頭で扱っていないだけでなく、「占唐は実在しない」という答えが返ってきたほどでした。
 占唐は、前述の通り室町時代以前に消滅しているが故に、幻の香とされるのですが、勅撰『薫集類抄』には、その異名である薝糖香の見出しで「本草云。微温。其樹似橘矣。煎枝葉為香。似砂糖而黒。去伏尸病。出交廣以南。出晋安岑州。」と書かれています。

橘に似て橘に非ず

その橘に似る樹木とは何か。薫香に関する文献にその樹木名が明らかになる記載を見出すことはできなかったのです。
 そこで、平安時代の百科事典とも言える源順が著した『倭名類聚抄』(承平4年、934頃成立)の記載を調べたところ、これは後世の加筆となりますが「李時珍曰、其花亦香、如茉莉花香氣。」とありました。
 平安人が、唐の晋安岑州に産する橘に似た樹木を何と称したのかを考察すると、第一に考えられるのが唐橘の名です。そして、現代では唐橘の名の樹木は二種類存在します。一つは、ヤブコウジ科の別名「百両」の名で知られる樹木。もう一つは、ミカン科の別名「枸橘」(「枳殻」の字も当てられる。)です。
 そして、後者の英名の一つに「オレンジ・ジャスミン」があり、茉莉花の英名が「アラビアン・ジャスミン」であることから、占唐が唐橘から作る香ではないかと、当初は位置づけていました。
 また、それ以外にミカン科で九里香の異名を持つ月橘(英名「オレンジ・ジャスミン」、「シルク・ジャスミン」)など、数種類の同科樹木を俎上に載せましたが、全て見当違いでした。
 当道にとって占唐の復元は、存立の根幹に関わることですので第一義的課題としてその研究に取り組んできましたが、浅学拙速を露呈するところとなってしまいました。
 しかし、勅撰『薫集類抄』にある「橘に似る」を、「橘に似て橘(柑橘類)に非ず」と解釈したことにより道は拓けることとなりました。

占唐の復元

平成18年4月15日。占唐の製造に初めて着手したのですが、『薫集類抄』には漢文で書かれた「枝葉を煎じ香と為す」の記載と、和文で書かれた「まづ煎じたる蜜に和合して乾かしとりてつく」の二つの方法が併記されており、後者は続けて「この香はなはだかはきがたし」と書かれています。
 前者は古来よりの製法であるとともに占唐固有の薫香を試すことができますが、後者は蜜を合わせることで記載のとおり乾き難くなるだけでなく占唐独自の薫香を得ることができなくなるため、前者の煎熬法を用いることとしました。
 最初は0.41gと極めて少量しか作ることができませんでしたが、この少量の占唐は、例えば閑院左大臣(藤原冬嗣)の方(調合)による梅花であれば数十丸分の分量があり当面の合わせには充分な量だったのです。
 600年間廃れていた占唐の復元を達成しましたが、このことにより当道の礎の一つを築くことができたと言っても過言ではありません。(景光記)